★「塾長から一言!」では、毎月塾生の各家庭に発送する『自然館だより』に不定期に掲載した「一言」を、これまた不定期に更新していきます。


まさに奇跡!こんな凄い確率に感謝。(H27・2月号)

今回は有難い「確率」の話です。といっても数学ではありません(笑)私たちが生まれてくる確率についてです。

「人が人間として生まれてくる確率は、一億円の宝くじが100万回続けて当選するのと同じ確率である」と、遺伝子の研究で世界的に知られる筑波大学名誉教授の村上和雄さんは言っています。これは単なる偶然ではなく、何か大いなる力が意図的に働かなければとてもなしえないことだそうです。

また、お釈迦様も同様なことを言っています。簡単に言うと、ある時一人の弟子に、広い大地の砂を地球上のすべての生物の命にたとえながら、一握りの砂を拾い上げ手のひらを開いてみせます。当然のごとく砂はこぼれ落ちます。そして爪に残った僅かな砂が、人間として生まれて来たあなたなんだよと・・・。

私たちが今生きていること自体がまさに奇跡です。私たちはこの奇跡のような確立のもとに生まれ、今を生かされていることを知ると、本当に有難い気持ちになります。

生きていれば楽しいこと、嬉しいことはもちろん、悲しいことや辛いことも経験しなければなりません。そんな時、村上さんやお釈迦様のこの言葉を思い出して、乗り切っていければいいですね!


西行さんの歌から…感謝の気持ちを再確認!(H26・12月号)

「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなくて 涙こぼるる」

今年も残りあと僅かとなりました。新しい年を迎え、毎年初詣に行かれる方も多いと思います。神社に行くと、不思議と神妙な面持ちになって、身も心もリフレッシュ!なんとなく安心感を得られたような気持ちになりませんか?

冒頭の歌は、西行法師が伊勢神宮に行った際、胸にこみ上げるものを感じ、思わず詠った歌とされています。じ~ん!と熱いものを感じるのは私だけでしょうか?

皆さんはこれまで、身の危険を感じ、それが何事もなく大丈夫だったことに気づいた時、「あ~良かった!」と思わず手を合わせたくなるような経験をしたことはありませんか?日本人は昔から日常のあらゆるものに神様を感じ、感謝の気持ちを捧げて来ました。そしてその感謝の気持ちが人と人との間にも浸透して、温和な民族性を築き上げてきたものと思います。

 前塾長はよく「感謝を忘れたら人間おしまいなんだ。」と語っていたことを思い出します。塾生の皆さん、今自分が健康であること、毎日食事を頂けること、塾に通えること、などなど、いくらでも感謝の材料は転がっています。年の終わりに今一度、感謝について再確認してみましょう!なんとなく有難くなり、日々の生活もより良い方向に向いていくのでは・・・。


「凡事徹底」先生(のTシャツ!?)に感謝!(H26・9月号)

 

先日、西中の体育祭を見学に行きました。中学生たちが一生懸命競技に参加している雄姿を見ては、「本当にカッコいいな!」と感動しました。やはり、人は何かに集中している真剣な眼差しというのは美しいものですね。塾生の皆さんには勉強にも同じ姿勢がみられると良いと思います・・・。

さて、学校の先生かと思いますが、背中に大きく『凡事徹底』とプリントされたTシャツが目に付きました。これは、皆さんもよくご存じのイエローハットの相談役をしていた鍵山秀三郎さんという方がその著書の中で唱えている言葉です。本当に奥が深い言葉だと思います。意味を簡単に言うと、「当たり前のことを当たり前にやるのではなく、当たり前のことを人には真似ができないほど一生懸命にやるという意味」だそうです。平凡なことを徹底してやっていると、平凡の中から生まれてくる非凡が、いつか人を感動させると鍵山さんは述べています。

何事も、徹底してやらなければ本物は生まれないでしょう。中途半端にやっていては、心からの達成感も味わえないかもしれません。先ずは目の前のやるべきことを、徹底することから始めたいものですね。

今回体育祭の見学に行ったことで、大切な言葉を思い出すことができました。先生方には感謝です!有難うございました!!まさに『歩歩是道場(ほほこれどうじょう)』で、どこへ行っても必ずそこには学ぶ材料があり、修養・修行の場となるものですね。

 


「一行三昧」(いちぎょうざんまい)余計なことは要らない ただそのことだけに集中しよう!(H26・8月号)

 塾生の皆さんは日頃、ともすれば「ながら作業」をしてはいませんか?たとえば、テレビを見ながら勉強したり、ご飯を食べながらテレビを見たり、音楽を聴きながら読書をしたり・・・。同時に二つのことをしているのだから、効率が良いと錯覚しがちです。しかし、一つのことに集中して時間をかけた場合と比べ、「ながら作業」では、その両方ともどこかで確実に集中力がおろそかになるため、時間ばかりが経過して、結局頭に何も残らなかった、という経験をした人も多いのではないでしょうか。

 「一行三昧」とは、何を行うにしても、その時間はただそのことだけに集中して、ただそれだけを味わうようにしましょう、という禅の教えです。もっと難しく言えば、「三昧」とは、雑念がなくなり、ただその一点に集中して、そのことになりきった状態をいうそうです。なりきる、まではできないかもしれませんが、遊ぶ時はただ遊びに集中し、テレビを見るときはただテレビに集中し、勉強するときはただ勉強すればよいのです。これまでの経験からも、「ながら作業」の習慣が、生徒たちの集中力を低下させ、成績向上の妨げとなっていた例はたっくさんあります。

 夏休みが始まりました。塾生の皆さんには是非、何事にあたってもこの「三昧」の境地で臨む姿勢を身に着けて欲しいと思います。一つのことに集中できれば、無駄な思考や行動が生まれる余地がなくなり、更に集中力も高まっていくものと信じています!


「父母の年は知らざるべからず」(論語) ~宇宙一、ありがたい存在!~(H26・6月号)

 塾生の皆さんは、自分のお父さんやお母さん、自分を育ててくれている人の年齢を知っていますか?自分が年をとるように、その人たちも必ず年を重ねていくのです。当たり前のことですね。でも、その当たり前のことをちょっと考えてみて下さい。

世界でたった一人の自分を生み、育て、自身のことよりも誰よりも、皆さんのことを考え、その笑顔を見ては喜び、いつも健康を気遣い心配してくれている、世界で一番大切な存在です。こんなありがたいことはありません。そんなかけがえのない方も、年老いていくことを知れば、自然と孝行を尽くし感謝の念が湧いてくるのではないでしょうか。

皆さんは成長の過程で、どこかしら親に似ていきながら、身長の差もちぢまり、いろいろな意味で親に近づいていくものです。ただし、唯一近づくことも、ちぢめることもできないものがあります。それは年齢なのです。

親の年齢を覚えておくことの大切さに気付くことができれば、自分が今やるべきことも見えてくるのでは・・・。いつまでもいつまでもそんな存在に感謝を忘れないようにしましょう!

そこで一句 「 いつまでも あると思うな 親と金 」 


言葉は都合よく⁉楽しもう!(H25・1月号)

 時として言葉は、自分を励まし勇気付け、あるいは楽しませてくれるとても便利なツールです。好きな言葉はたくさんありますが、少しだけ紹介させて頂きます。

 例えば、自然館の下駄箱の上に「脚下照顧」の木札がありますね。これは「他人のことをあれこれ言う前に、まず自分の足元をよく見なさい」という教えです。今の自分をよく見つめ、周囲に流されることなく、自分が今ある状況を把握し、やるべきことはきちんと行いなさいという戒めの言葉です。塾へ来たら、先ずは、靴をきちんと揃えることから始めましょう!

 道場正面に掛けられた「道法自然」の書は見たことがありますか?これは老子の言葉で、簡単に言ってしまえば「私達の歩むべき道は、あれこれ考えずに、自然の法則に任せておきなさい」という意味です。辛いこと、嫌なことをじーっといくら考えても、どんどん不安が増すばかりということはありませんか?ならばほっとけば、知らないうちに向こうから勝手に去っていってしまうものです。まさに仏(ほとけ)の道です。なすがまま、あるがまま、素直に感じ行動することの大切さを伝える言葉です。

 おまけにもう一つ。「苦しいという思いは、その人が苦しさを乗り越えられるからこそやってくる。」イチローの名言です。そうでなければやってられないですよね!

 ということで、どんな言葉でもいいので、自分を前向きにしてくれる、支えになってくれる、自分に都合の良い!?言葉があると、何かのときに役に立つかもしれませんね・・・。


「彼らは貧乏だが、しかし高貴だ!」日本の歴史に誇りをもって学んでいこう!(H25・5月号)

 皆さんはかつて、日本を心から尊敬し、日本文明を心から愛した外国人がたくさんいたことを知っていますか?冒頭の言葉を残したフランスの作家であり駐日大使であったポール・クローデルもその一人です。彼は私たち日本人の、神棚を飾り、何かにつけ神社に足を運び、感謝と祈りを捧げる神道の習慣に深く感銘した人物です。彼はこうも述べました。「私が決して滅ぼされることのないようにと願う一つの民族がある。あれほど興味ある太古からの文明をもっている民族を私は他に知らない。あの最近の驚くべき発展も私には少しも不思議ではない。彼らは貧乏だが、しかし高貴である。」ジ~ん!っと来る言葉ですね。

 これほどまでに外国人が興味を示す日本の歴史や文明です。社会科の歴史というと1つの教科と考えると嫌になってしまいそうですが、クローデルのような日本を愛した外国人がいたことを知り、彼らのような観点から日本の歴史を見直してみたら、これまでとは違った興味が湧くのでは?

 皆さん、日本の歴史に興味を持ちましょう!そうすれば歴史を学ぶことが楽しくなってきますよ。明治に日本に帰化した小泉八運(ラフカディオ・ハーン)は「日本人よりも本当の日本を愛する!」と語ったそうですね。


本当の「熱意」と「根気」って? 伊能忠敬に学ぼう‼(H25・3月号)

 日本列島の美しい姿かたちは知っていますね。そこで質問です。日本で初めて正確な日本地図を作った人は誰ですか?それは皆さんもよく知っている、社会科の授業でも学習した(はずの⁉)伊能忠敬ですね。何が凄いのかといえば、先ずその地図の精密さです。コンピューターもない江戸時代に、北海道から九州に至るまで、自分の足で歩いて作ったその地図が、今日使われている日本地図とほとんど誤差がないということです。ホントに凄いことです!しかも、地球1周約4万キロとほぼ同じ距離を歩いて測量した前人未到の一大事業だったということです。そしてこれまた凄いのは、忠敬がこれを始めたのは55歳、達成したのは71歳だったということです・・・。

 皆さん、「これから何かをやろう!」と決心した時、疲れたり、くじけそうになったりした時は、この老齢の伊能忠敬の「熱意」と「根気」を思い出して下さい!きっとうまくいくはずです‼


零戦ブームにのって・・・対空のサムライ・坂井三郎さんから学ぶこと(H26・1月号)

 「運命とは、命を運ぶと書く。自分の命を自分で運んで、自分の道を自分で切り開くしかない。」零戦のエースパイロット、撃墜王として世界的に知られる『対空のサムライ』と謳われた坂井三郎さんの言葉です。今年はなぜか、百田尚樹さんの『永遠の0』や宮崎駿さん監督の『風立ちぬ』など、若い人たちを中心に零戦ブームが巻き起こりました。塾生の中にも『風立ちぬ』の映画を見に行った人、これから『永遠の0』を見に行くという人、あるいは既にこれらの小説を読んだ人も何人かいました。今でもなお零戦が日本人の心を引き付ける理由はいろいろ考えられますが、私はその戦闘機乗りの生き方に惹かれるところが多分にあるのではないかと思います。

 このブームを知り私の脳裏に真っ先に浮かんだのが、零戦の搭乗員として絶対絶命の危機から何度も生還を果たした坂井三郎さんです。その生き方は私たちに、まさに命の大切さや、危機に逢ってもいかに対処しあきらめずに活路を見出すかという勇気を与えてくれます。

 坂井さんは昭和17年、ガダルカナル上空で待ち伏せしていた複数の敵機に単機で挑み、集中砲火を浴び、頭に被弾し左半身は麻痺状態となり、右目は多数の金属片が突き刺さり視界が利かなくなったそうです。頭部の傷は指がズルッと入ってしまうほどで指先に柔らかく脳みそを感じるほどだったそうです。それでもマフラーで止血し薄れる意識を奮い立たせ、約5時間かけて味方のラバウル基地に生還を果たしました。

 坂井さんは戦後、どんなに予想外の出来事が起こっても、その時にどうしてこうなったのかと考えることより、今何をなすべきか、悪化を防ぐためにどう行動するかを考えることが先決であると常々言っていたそうです。私たちはよく「運命」というと決められているのだからといって諦めがちですが、冒頭の坂井さんの言葉は、現代社会で遭遇する様々なピンチを乗り越えるためのヒントを私たちに投げかけてくれているような気がします。まさに零戦で命を運び、命を大切にして生きた坂井さんの言葉には本当に説得力がありますね。


知識なくして知恵はなし!(H25・11月号)

 こんな言葉を聞いたこと、口にしたことはありませんか?「連立方程式なんか将来使わないんじゃないの?」「三平方の定理なんか知らなくても生きて行けるじゃん」さらには「受験勉強なんて実社会では全然役に立たないよ」などなど・・・。特に私達大人には絶対に口にして欲しくない言葉ですね。明らかな間違いです!私達は子ども達に教育を受けさせる義務がありますが、それは「物事を考える力」「一つのことをじっと考察することから培われる忍耐の力」そしてそれは「何かを新しく創造するための知識」となっていきます。考える力、我慢する力、そして知識がなければ、どんなに考えてみても何かを生み出すことはできません。ゆとり教育全盛のころは、上から一方的に教える前に、子供たちに自由に考えさせることが良いことだとされましたが、何かを作り出す力の土台となる知識や考える力がないから、結果的に著しい学力の低下に繋がってしまいました。

 「学ぶ」こととは「真似ぶ(る)」ことだとよく言われますが、いろいろなことを学んで真似し、多くの知識を吸収し、そこから自分なりに取捨選択していくことによって、初めて創造的なアイディアや知恵が生まれるものと私は信じます。学問はすべて意味あり!です。知識なくして知恵はなし・・・ですね。